千倍王鷹虎蝗合成獣

平成仮面ライダーの感想・考察サイト。衒学的で悪し様で居丈高な語り口のブログにようこそ。

赤(紅玉)と青(蒼玉)と緑(翠玉)

【警告】これより先は読んではいけない。

f:id:sebaOOO:20170819233031j:plain

 「高寺成紀」または白倉伸一郎または「塚田英明」の批判は見たくないという人は読んではいけない。

■最初に言っておく!

 この記事では3人(高寺P白倉P塚田P)の「批判」しかしません。ですが、それが結果的に3人の「称賛」になります。どういうことかと言うと、
高寺P下げ白倉P上げ塚田P上げ
白倉P下げ高寺P上げ塚田P上げ
塚田P下げ高寺P上げ白倉P上げ
になるからです。『ポケモン』の最初の3匹(三竦み)みたいですね。記事名は「あかとあおとみどり」または「ルビーとサファイアとエメラルド」と読んでください。「光の三原色」です。

■その1:高寺P批判

 をする前に、塚田Pのスタンスを見てみよう。同時に、高寺Pのそれでもあるからだ。

――塚田さんは以前、プロデューサーとしての自分の仕事は現場にいい台本を届けることであるとおっしゃられていましたが。
塚田 一番大事なところかなとは思ってます。それによってみんなが動くわけだから、そこが変なものだと苦労し甲斐がないというか。現場の苦労って……一日現場に張りついてるとよくわかるんですが、ホントによくやるよなぁ、みたいなことですから、そこで僕らがラクしてたらマズいだろうというのはありますね。
(塚田英明『仮面ライダーW公式読本W』より)

 井上敏樹はプロデューサーを<船長>と表現したことがある。脚本はさながら<海図>であり、現場の人間は<船員>といったところか。船長の目指す場所(目的地)が不明確で、海図が不明瞭だと、船員は<遭難>の憂き目に遭う(作品は迷走する)というわけだ。なので、「ホン打ち」が一番大事というのは正にその通りなのだが、高寺Pの欠点は、それが長過ぎるという点である。主題図が無ければ航海すらできない。『響鬼』で氏が更迭された理由は多々あるが、脚本が出来上がらないことによるスケジュールの遅延、それが最大の要因の一つであったことに異論は無いだろう。

――『クウガ』は途中から参加されたんですよね。
井上 そうそう。『クウガ』も最初はいろいろゴタゴタしたんだよね。有名な話だけど、高寺がなかなか脚本にOK出さなくてさ。現場がすごい大変だったらしいんだよ。
 東映の鈴木さんから電話がかかってきて「井上、書け」と。次の怪人は何とかだとか、いきなり言い始めてさ。あたふたとわからずに行ったら、あんなような現場でさ。鈴木さんとしては、現場を何とか立て直したかったんだろうね。
 でも結局、高寺は残って、体制は変わらなかったんだけど、高寺はあいつ、とにかくホン打ちが長いんだよ。12時間とか20時間とか平気でやるからさ(笑)。
井上敏樹『語ろう!クウガ・アギト・龍騎 【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】』より)

 高寺Pがなかなか脚本にOKを出さなかったのは、<整合性>を取ることに拘ったからだ(そのために「文芸チーム」を用意したほど)。が、『クウガ』でサブPに就き、『アギト』でチーフPに就いた白倉Pは、設定は(守らねばならない)<ルール>と化し、雁字搦めにするだけ、と指摘する。『アギト』は元々『クウガ2』として動き始めた企画だが、氏(白倉P)の自著、『ヒーローと正義』(二〇〇四)を読むと、ルールを守る(整合性を取らざるを得ない)ことに対して辟易とした感情を抱いていたことが垣間見える。

 これらの番組(注:『ウルトラマンガイア』(一九九八)や『仮面ライダークウガ』(二〇〇〇))は、若年層を越えて高年齢層にも好意的に迎えられ、「イケメンヒーロー」ブームの素地をきずきあげた。そうして裾野が広がったためかもしれないが、〈ルール〉を気にかける視聴者がとほうもなく増えている気がしてならない。
 個人的な体験では、『クウガ』の翌年『仮面ライダーアギト』(二〇〇一)を手がけたさい、視聴者から苦情が殺到したことがあった。主人公が過去の記憶を失っているという設定なのだが、記憶喪失で運転免許がとれるはずがない。子ども番組のヒーローが無免許運転をするとは!と抗議する電話や手紙が押し寄せたのである。
 もちろん運転免許の取得要件と、記憶の有無は関係ない。一種の偏見にもとづく思い込みにすぎない。しかし、苦情が増加の一途をたどるのに音をあげた方面からの要請で、主人公が運転免許証を(視聴者に向かって)見せるシーンを劇中に盛り込まざるをえなくなった。
白倉伸一郎『ヒーローと正義』より)

 また、最近(二〇一六)のインタビューでは、リアリティを追求し過ぎると、やがて仮想(バーチャル)世界になってしまうため、設定(世界観)に拘っても意味が無い、と白倉Pは指摘していた。

白倉 本当は『クウガ2』という形でと動き始めた企画(注:『アギト』)なんですが、そこは難しいとこだなぁと。(中略)グロンギがいて当たり前の世界」が進むと、だんだんアンリアルになってくる。それがクウガの世界として閉じている間はいいんですが、問題は「2をやりましょう」となったときで、様々な縛りが発生する。G3はまさにその発想から誕生したもので、当時はバンダイにいた野中(剛)さんが言ってたんですが、警察はずっと未確認生命体4号(=クウガ)に依存してしまったことに忸怩たるものがあるはずだから、クウガグロンギを研究して "メカクウガ" を作るんじゃないかと。それはまだいいとしても、そもそも社会全体が今の現実のままというのはありえないわけで。たとえば、グロンギがいつ出てくるかわからない世界で、コンビニがそのまま24時間営業し続けてるのはおかしいじゃないですか。そういう世の中のシステムまで考え始めると、もうこれは仮想世界、SFの領域ですよ。そういうSFを否定するわけではないですが、はたしてそれが日曜朝の番組として面白いのかなと。
白倉伸一郎『「仮面ライダー」超解析 平成ライダー新世紀!』より)

 高寺Pの作品(特に『クウガ』)は熱狂的なファンが多いけど、批判が無いわけではないので、興味のある方は下記記事も是非ご覧ください。

sebaooo-tatoba-combo.hatenablog.jp

■その2:白倉P批判

 白倉Pが高寺Pを批判するように、高寺Pもまた白倉Pを批判する。『アギト』はまだ3人の仮面ライダー共闘がある(もっとも、白倉P曰く、そういう展開になったのは不本意だったようだ)が、13人の仮面ライダーが殺し合う『龍騎』や、仲間割れ(擦れ違い)が多い『555』は<殺伐>とし過ぎている、という批判だ。

――ライダー同士が戦うこと自体には僕は否定的な感情はないんですけど、高寺さんが違和感を感じられたというのは?
高寺 三つ子の魂百までじゃないですけど、人としての歩みをまさに今からスタートさせようっていう時期の人間に、大人たちが諍い合ってる姿を「日常の景色」として積極的に見せちゃうのは、子供番組担当としても、親としても結構抵抗があったんですよ。夢がないというか……シビアすぎるし、建設的じゃない気もして。(中略)人と人とは信じ合うものだし、人と人とは助け合うものだって思いをまずは子供に伝えていきたいなぁと。(中略)「友達と仲良くしよう」みたいなことは、理想論かもしれないんですけど、入門編として、伝えておきたいなぁと。
 その入門編を学ぶ前に「とはいえ、世の中には仲良くできないヤツだっているもんだ」っていう話を提示しちゃうと、人生の初心者的には混乱しちゃうんじゃないかなぁと。それって人生経験を積んだ大人としては実感してることだとしても、言わば一種の応用編だと思うので。
(高寺成紀『語ろう!555・剣・響鬼【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】』より)

 また、塚田Pの作品、『フォーゼ』のメインライターを務めた中島かずきは、井上敏樹(白倉Pの作品でメインライタを務めた)のアンチとして有名だ。下記発言は遠回しに井上敏樹(と白倉P)を批判しているのだ。

――(中略)かつて別の取材で、東映戦隊シリーズを長く手がけた日笠淳プロデューサーが勧善懲悪って定番すぎて、ともすれば物足りないかもしれないけれど、2~3歳の子ども向けとして、まず、この世界には勧善懲悪というスタンダードがありますよ、と伝えたいと語っていて、とても感銘を受けた記憶が。
中島 そうそう。僕もそう思うんです。それで言うと仮面ライダーも続いて放映されるわけですから、特に仮面ライダーに変身する人に関しては、そういうことをきちんと押さえておきたいなと思いました。(中略)
――まず子どもに見せるものという意識があった。
中島 はい。もちろん実際にドラマ作りをしているとき、具体的なエピソード作りをしているときは、登場人物の感情やドラマ的な盛り上がりを優先して考えますが、それにしてもその根底でベースは自我が固まりかける子どもに見せるものだということは忘れてはいけないと、意識するようにはしています。
中島かずき仮面ライダーフォーゼの教科書』より)

f:id:sebaOOO:20170819234023j:plain

f:id:sebaOOO:20170819234037j:plain

 『フォーゼ』にも草加雅人(『555』)的2号ライダーが出て来るけどな…!主人公(1号ライダー)殺しなんて、草加雅人だってやらなかったよ…!

■その3:塚田P批判

 塚田Pの批判(というほどのものでもないけど)は『W』と『フォーゼ』のサブライター、長谷川圭一によってなされている。指摘内容は以下の3点だ。

(1)塚田P作品は現実味が薄く箱庭的な世界観である。
(2)塚田P作品は戦闘シーンが緩く命懸けっぽくない。
(3)塚田P作品は少年漫画的ご都合主義に溢れている。

 詳細は下記記事を参照されたし。何故、小説版『ドライブ』(マッハサーガ)の感想記事で塚田Pについて言及したのかは謎である(オイ)。

sebaooo-tatoba-combo.hatenablog.jp

 上記内容は、『ユリイカ』(二〇一二)で宇野常寛も指摘している。もっとも、氏は「平成二期アンチ」(かつ、高寺Pアンチかつ、白倉Pシンパ)であるのだが。

 (中略)ヒーローものの核にある問題って暴力を行使して、他人を傷つけて自分も傷ついて初めて獲得できる価値があるんじゃないかという問題を否応なく孕んでしまっているところにあると思うんですよね。そしてそれを眺めることが僕らにとってとても気持ちがいいという問題も含めて。
 でも『W』にせよ『フォーゼ』にせよ、そこから一生懸命目を逸らしてマイルドに作っている。それって要はヒーローが暴力を振るう存在だってことを描きたくないって意志なんですよね。そこがヘンな言い方だけど僕にとって興味深いところでもあるし、つまんないところでもある。こういう作品が生まれてくる状況はおもしろいけれど番組自体はちょっとつまらなく感じることもある。『W』も『フォーゼ』もガイアメモリやスイッチは破壊するけれど、怪人に変身する人は傷つけないでしょう。僕個人は、そこから目を逸らすやり方ではかえって特撮作品だから、ファンタジーだからこそ描くことができるものを失うと思いますけどね。
宇野常寛ユリイカ2012年9月臨時増刊号 総特集=平成仮面ライダー』より)

 この、「ヒーローが暴力を振るう存在だってことを描きたくない」というのはどういうことなのかというと、塚田Pの作品(『W』『フォーゼ』)で敵幹部(人間)が死ぬ時は、主人公が直接手をかけないことが多いのだ。ネタバレを避けるために(なんか今更な気もするけど)事象だけ羅列すると、「妻に殺される」「後遺症で消滅する①」「火事の館で焼死」「最初から死んでいる(NEVER)」「ラスボスに殺される」「ラスボスを庇って死ぬ」「後遺症で消滅する②」「後遺症で消滅する③」(前半4つは『W』、後半4つは『フォーゼ』なので当ててみよう!)等、主人公は手を汚さないのである。『W』の戦闘員(マスカレイドドーパント)も、「倒される瞬間に自爆する」=「ダブルやアクセルは殺してない(だからセーフ)」という、謎の(フォロー)設定があるからなぁ…!

 また、塚田Pは東映の中でも「作家性が強い」プロデューサーの一人だが、白倉Pは「(作品に)個人の思想が前面に出てしまうと、良くも悪くも危険」と指摘する。これは同時に、高寺P批判でもあるのだ。

白倉 (中略)塚田のほうは、世の中の人間はみんないい人だっていう考えなんです。どんなに悪い奴でも状況やなんらかの理由で悪いのであって、根っこの部分ではいい人なんだっていうことなんです。その思想を体現するヒーローが、『フォーゼ』においては如月弦太朗っていう人物なんですね。「敵だって友達だ!」っていう。(中略)ここまで思想が明確に主張されることは珍しいなってくらい、『フォーゼ』は世間的な成功云々は別として、もっとも塚田らしい作品という気がします。だから、やりきったとまでは言わないけど、あそこまで個人の思想が前面に出てしまうと、良くも悪くも危険なんです。自己実現のためにある番組ではないのですから。
白倉伸一郎『証言!仮面ライダー』より)

■だから高寺&白倉&塚田Pの、

f:id:sebaOOO:20170819234320j:plain

 ハイブリッドができないもんかな?と夢想している。

 「タカ!ウナギ!バッタ!タカウバ!」みたいな(これはコンボじゃあなくて亜種だけど…!)画像(ドガバキ)はイメージ。何気に、高寺&白倉&塚田Pの作品の「好いとこ取り」をして(しようとして失敗して)いるのが武部直美なのかもしれない。

■蛇足:エメラルドの都

 童話『オズの魔法使い』には「エメラルドの都」が出て来る。翠玉の光で目をやられないよう、住民は緑色の眼鏡をかけているだが、実際はエメラルドでは出来ておらず、ただの都だった、というのがオチである。モノを見る時、色の眼鏡をかけていると、色のはずのモノが色く、色のそれは色に見えてしまうだろう。

 あなたは「色眼鏡」をかけていませんか?

■追記(2017/09/24)

f:id:sebaOOO:20170924110434j:plain

 『ビルド』の世界観は面白い。スカイウォールの惨劇で、日本列島が「西都」「北都」「東都」の3つに分断されている、というのが。平成仮面ライダーも、「高寺派」「白倉派」「塚田派」という3大派閥があるよね。ファンだけでなく、スタッフにも(苦笑)。もっとも、高寺成紀は東映を退社、塚田英明は栄転(一般ドラマ行き)、白倉伸一郎は(『ディケイド』以降)テレビ本編のチーフPは務めてないものの、春映画や『アマゾンズ』を手掛けているので、現時点(2017年)では「白倉派」が一番強い、ように思われる。

 ここで一つ声高に言っておきたいのは、作品には<パターン(作風)>があるということである。

 子供が絵本の読み聞かせをねだるときって、知ってるお話を読んでもらいたがったりするじゃないですか。桃太郎だったり、白雪姫だったり、結末を知ってるお話を何度も何度も読み聞かせてもらおうとする。それは、この先どうなるってハラハラドキドキは求めてないわけですよ。(中略)
 要は、この先どうなるってハラハラドキドキは、実はあんまり面白くないんですよ、おそらく。そうじゃなくって、あらかじめハッピーエンドであれ、バッドエンドであれ、こういうゴールが待ってますよってことが提示されてないと、お客さんは楽しめない。
白倉伸一郎『語ろう!555・剣・響鬼【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】』より)

 例え話で、高寺Pの仮面ライダー『泣いた赤鬼』、白倉Pのそれは『桃太郎』、という話は以前書いた。

sebaooo-tatoba-combo.hatenablog.jp

 過激な高寺派は「高寺P作品こそ(最高)傑作!それ以外は(最低)駄作!」と言う。
 過激な白倉派は「白倉P作品こそ(最高)傑作!それ以外は(最低)駄作!」と言う。
 過激な塚田派は「塚田P作品こそ(最高)傑作!それ以外は(最低)駄作!」と言う。

 それは「自分はこの作風(パターン)が好きだ!それ以外は嫌いだ!」と言っているに過ぎない。

[了]

※はじめましての方はこちらをご一読ください。

sebaooo-tatoba-combo.hatenablog.jp