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千倍王鷹虎蝗合成獣

平成仮面ライダーの感想・考察サイト。衒学的で悪し様で居丈高な語り口のブログにようこそ。

対決!『鎧武』VS『555』

対決シリーズ 15_鎧武 04_555

 「対決!」シリーズは、『仮面ライダー鎧武/ガイム』(以下、『鎧武』)と旧作を比較して徹底的に叩きのめすというコーナーです。最後はVS『仮面ライダー555』(以下、『555』)。ネタバレありまくりなのでご注意を。

【大元】対決!『鎧武』VS『仮面ライダー』 - 千倍王鷹虎蝗合成獣

■懐疑!正義と変身

 『555』への想い入れは此処に綴ってある。

【関連】『555』騎馬と網と戌亥 - 千倍王鷹虎蝗合成獣

 『555』の企画は<変身><正義>への懐疑からスタートしているが、そういったヒーロー物へのアンチテーゼは、『鎧武』でも第14話「ヘルヘイムの果実の秘密」や第40話「オーバーロードへの目覚め」等で語られている。こうして考えると、『鎧武』は「初期平成仮面ライダーの"作風"に立ち戻っている」ように、見えるのだが…?

■対決!「草加雅人」VS「呉島光実」

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 呉島光実は、「平成二期の草加雅人」と形容されることが多い。彼のロックシードのブドウは「LS-09」、キウイは「LS-13」であり、両方の数字を結合すると「913(カイザ)」となるのは偶然かもしれないし、魔法かもしれない。虚淵玄は、呉島光実を子供たちの「反面教師」として登場させたという。

――振り返ってみると、ミッチは、悪いことをするとバチが当たるよっていう、子供たちへの啓蒙的な役割も担ってましたし、本当に裏の主人公といっていい大事なキャラクターでしたね。(中略)それを端的に表していたのが、凌馬が光実に言い放った嘘つき、卑怯者、そういう悪い子供こそ、本当に悪い大人の格好の餌食となるってセリフですよね。
虚淵 あれはまさに、自分がライダーを引き受けて本当によかったと思えた一行でした。「あ、これを書けたから、俺、やった意味があったな」と。(中略)43話だったかな、すべての苦労が報われた瞬間というか、自分のやったことに価値があると実感できたというか。あの言葉は子供たちが大人になる過程で持っていってもらえる言葉だろうなと思ったので。
 子供のこまっしゃくれた反論としてなんで悪いことをやっちゃいけないの?って、親を困らせるいちばんのセリフかなと思うんですよね。
 そこで世の中っていうのは本当に怖くて、君の想像を超えるくらい悪いヤツがいるんだよって言ってやれる親御さんは、そんなにはいないと思うんです。そこまで子供を突き放すことができるのは、他人の大人しかいない。
 だったら、他人の大人として子供に接する機会があるのは、やっぱりライダーの役目かなと思ったので。
虚淵玄『語ろう!555・剣・響鬼【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】』より)

 ところが、井上敏樹は同書にて、草加雅人について以下のように語っている。

――井上さん史上でも、あそこまでいいヤツにしないで徹底的に悪く描いたキャラって、あんまり例がないんじゃないですか。北條にしても、まだ可愛げがあったと思うんですよ。
井上 俺ね、草加は悪いヤツだと思ってないの。すげー真理のこと好きでさ、純粋なヤツなんだよ、あいつ。俺は草加を悪いヤツと思ったことないよ。可哀想なヤツなんだよ、どっちかっていうと。
 だからほら、結構あいつ、死んでからみんなさ、いきなり「草加草加―!」って騒ぎ出すじゃない?「草加―っ、帰ってきてくれー」ってさ。
 そういうヤツって成功した証拠であってさ、最初はほんと「死ね!」と石を投げられるようなヤツなんだけど、いなくなるとやっぱり好きだったみたいな、そういうヤツだったよね。
――井上さんと飲ませていただいたときに、僕が「草加ってイヤなヤツでしたよね」と言ったら、井上さんが一瞬ちょっと悲しそうな表情をされたのが、すごい印象に残ってるんですよ。
井上 草加、愛してるんだよ、俺(笑)。
井上敏樹『語ろう!555・剣・響鬼【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】』より)

 すなわち、虚淵玄は呉島光実を「悪い奴」として描いているが、井上敏樹草加雅人を「善い奴」として描いているのである。この差は一体何処から来るのだろうか?

■「番組っていうのは答えを出しちゃいけない」

 2004年に朝日ソノラマから出版された『555補完ファイル』には、井上敏樹白倉伸一郎の対談が掲載されている。そこから一部を抜粋してみよう。

井上:だいたい番組っていうのは答えを出しちゃいけないと思うんだよ。
――それは、見ている側に参加する余地を与える、ということですか?
井上:違う。答えはいつも平凡だから。もっと言えば、平凡な答えしか受け入れられない世の中だから。でも、なんでいまさら「友情は美しい」とか言わなきゃならないの?そんなのはみんな一般論として持ってるわけじゃない?なのに、わざわざテレビで言う必要はないわけで。
――それは、見ている人が安心したいからじゃないかと……。
白倉:そこがすでにおかしいでしょ。平凡な答えで安心するっていうのは、もともとそういう答えを期待しているってことで、それはすでに観ている側の中で答えが出てるのよ。じゃあ別に観なくたっていいじゃない?と、そういう話。
井上:わかりきったことを描いてもしょうがないって話なんだよな。
白倉:それは確認するためだけにテレビ番組を観てるってことで、そういう番組は他にもあるので、そっちを観てもよろしい、と。
井上敏樹白倉伸一郎仮面ライダー555 ファンタスティックコレクション 555補完ファイル』より)

 草加雅人は人間サイドからすると「善い奴」である。それは当然だ。人間を襲う怪人(オルフェノク)を倒してくださるのだから。しかも、そのスタンスは始終ブレることはない。しょっちゅう躊躇・葛藤する乾巧なんか、人間側から見ると「ナニヤッテンダ!」状態ですよ。だからこそ、「怪人を倒すことは正義なのか?」という懐疑が引き立つ。一方、呉島光実の言動が「悪い奴」のそれというのは明々白々なのよね。

(01)錠前ディーラーに血筋をチラつかせ、半ば恐喝気味に変身装備を入手。
(02)変身装備を奪取すべく、主人公の姉を人質にとり、他人に襲撃させる。
(03)主人公すら手駒(どうしてあなたは僕の言う通りにしてくれないんだ)
(04)変身中の主人公を背後から狙撃(あいつさえいなければ…/やった!)
(05)組織(研究員・戦闘員・工作員)に裏切られ始末される兄を見殺しに。
(06)兄の変身装備で自身の正体を隠し、偽装工作をして主人公を襲撃する。
(07)錠前ディーラーと一時行動を共にするも、命を落とすよう罠に嵌める。
(08)異界人の王・臣下と結託。王の超常的な力を見て、寝返ることを決意。
(09)デ ュ デ ュ オ ン シ ュ を 盾 に す る 。
(10)異界人の王妃復活のため、人間の生命力を吸収・注入する計画に加担。
(11)希望を病気(伝染病)呼ばわり。兄弟対決にて、実の兄を手にかける。
(12)市民をクズ(葛)呼ばわり。ヒロインを拉致し我が物にしようとする。
(13)「上手く立ち回ること」ばかり考えた結果ヒロインを死なせてしまう。

 「悪い奴を悪い奴として描く」というのは、「友情は美しい」といった一般論を描くことぐらい、無意味なことだと井上敏樹白倉伸一郎は言っているのだ。

■背反!"double standard"

 『クウガ』の五代雄介はみんなの笑顔を守るために戦う。
 『アギト』の津上翔一はみんなの居場所を守るために戦う。

 一見すると同じだが、異なるのは『アギト』には風谷真魚がいる、ということである。中盤、真魚ちゃんは翔一くんに対し、「他人のためには戦えるのに、どうして自分のためには戦えないのよ!」と叱咤する。それ以降、『アギト』の「みんな」の中には「自分自身」も含まれることとなる。これは、「自己犠牲によって主人公が壊れていく」帰結となった『クウガ』の否定だ。すなわち、高寺成紀作品が<公(パブリック)ライダー>とするならば、白倉伸一郎のそれは<私(プライベート)ライダー>なのだ。『555』の乾巧はもっと原始的(プリミティヴ)である。「生き残る(殺されない、死なない)」ために戦っているのだから。『龍騎』は、私利私欲のために戦う人間が多い中、城戸真司だけが最期まで公(パブリック)のために戦った、というのが臍だね(彼の性格(キャラクタリスティック)を形成したのは、白倉伸一郎ではなく小林靖子だ。)

 で、『鎧武』の葛葉紘汰は両者(公私)が混在している。パイロット版とセカンドパイロット版を見てみよう。例えば、第02話での彼は<公(パブリック)ライダー>だ。

紘汰「(※カレー屋・建築現場でのバイト後)はあ…全然ダメじゃんこれ。何か凄いことできると思ったんだけどな。」
紘汰「(※ダンスステージのインベス暴走時)そうだ…こいつを使いこなせなかったのは、自分のためだけに使おうとしたからだ。でも、皆を守るために使うなら、きっと…!
(『鎧武』第02話「必殺!パインキック!」より)

 ところが、第03話になると突然<私(プライベート)ライダー>となる。

紘汰「はい姉ちゃん!今月の家賃と食費!」
晶 「ちょっと!どうしたの?こんなに。」
紘汰「ああ、多かったら来月分に回して。それとも、もっと大きな部屋に引っ越すんでもいいぜ。あ、そうだ!ウナギ食おう、ウナギ。ステーキもいいなあ。」
晶 「紘汰?あなた、バイトは辞めたんじゃ…?」
紘汰ああ、インベスゲームで特別に賞金が出たんだ。このまま勝ち続けると、良い稼ぎになるかもなあ。
(『鎧武』第03話「衝撃!ライバルがバナナ変身!?」より)

 そして、第05話では急遽<公(パブリック)ライダー>に戻るのである。

舞 「ミッチは、紘汰に憧れて励まされて、だから強くなろうとしてるんだよ。そんなミッチが紘汰の前で弱音吐ける訳ないじゃない!」
紘汰「俺が…あいつを強くした…?…ベルトだ。舞、ベルトをくれ!今度こそ俺のためだ。俺は俺自身のために戦う。そのための力が欲しい!」
光実「ダメだ紘汰さん!あなたにはもう、戦う理由なんてない!」
紘汰あのベルトは俺しか使えない!俺にしか出来ないことをやり遂げるための力!俺はそいつを引き受ける!そいつがきっと、大人がよく言う責任って奴だろ?
(『鎧武』第05話「復活!友情のイチゴアームズ!」より)

 この、「公と私、どちらを優先するか?」がバラバラなのが、葛葉紘汰がダブルスタンダードと非難される所以である。何故、このような事態になってしまうのか?

■「テーマを描いちゃいかんのよ番組ってのは」

 先程紹介した『555補完ファイル』にそのヒントがあった。

井上:でも、テーマなんてのは……何度言ってもみんなわかってくれないんだけど、テーマを描いちゃいかんのよ、番組ってのは。人間を描かなきゃ、人間を!ただ日本人にはテーマを描いたら高尚だ、とかあるんだよな。でも、やっぱり人間を描くから実ができるんだよ。
――とは言え、テーマというか、お題目があるとやっぱり人は安心するもので。そういう意味で『555』はなかなか安心させてもらえない作品でした。
白倉:だから、まずは番組をお話として観てるからいかんのであって、そこを越えたいんだけどなぁ……。
――「お話」として受け止められたくないのだとしたら、ニュースをやるしかないのでは?
白倉:ニュースだってお話なんだよ、本当は。だって5W1Hじゃない?誰がどこで何をして、いつどうなった、みたいな。結局、みんな結論が出なきゃ納得しないわけで。めでたしめでたしとか何らかの結果を求めるわけだから。でも、そうじゃなくて「あなたの結論て何なのよ?」と問いたい。
――だから『555』ではそこがみごとに出なかった、というか、徹底して出さなかったという……。
白倉:だって、他人に対して結論を求め、そうやって満足していく人生って何さ、って思わない?
――自分で出せない人が多いとか。
白倉:それはそう。自分自身に結論は出せないでしょ、死ぬまでさ。死んでもたぶん出せない。じゃあ、なんでそれを他人に求めるの?と。
井上敏樹白倉伸一郎仮面ライダー555 ファンタスティックコレクション 555補完ファイル』より)

 如何だろうか?白倉伸一郎井上敏樹の言い分をまとめると、
(壱)番組は回答を用意してはならない。
(弐)番組はお題目を掲げてはならない。
ということになる。これが、『555』の“筋”(コンセプト+志)だね。

 『鎧武』第03話にて葛葉紘汰が突如<私(プライベート)ライダー>と化したのは、虚淵玄「ネットや流行に踊らされる衆愚」というテーマを描くためである。それによってキャラクター(人間)が捻じ曲がってしまったのだ。これでは本末転倒である。

 『鎧武』は、「正義と変身の懐疑」という点では『555』を真似れているが、「問題提起・テーマを描かずに人を描く」という点では『555』に完全敗北しているのだ。

■称賛!監督&俳優の「井上敏樹」評

 ROM専だが、よくアンチスレに足を運ぶ。アンチの方が理路整然とした意見を持っていることが多いからだ。そんなわけで、井上敏樹アンチスレも定期的に読んでいるのだが、こんな批判があった。曰く、井上敏樹の脚本はスカスカなので、現場で監督や俳優が苦労する」というのだ。ところが最近、「意外とそうでもない」という意見が、監督陣営から発信されているのだ。先ずは、主に平成一期の白倉P作品でメガホンをとっていた、田村直己(たむらなおき)の発言。

 『555』においては、井上敏樹さんという脚本家と出会えたことが大きかったです。井上さんとはいまでも仲がいいんですが、彼の紡ぎ出すストーリーは大人っぽいですし、台本としても秀逸です。ストーリーも2話完結のようでいて、そうではない。井上さんと感性が合ったというのはおこがましいんですが、合いました。僕の作る世界観を、井上さんも喜んでくださいました。カイザは井上さんが推していたキャラですけど、僕も意図してカイザのキャラクターを面白く膨らませることができたんじゃないかと自負しています。普通のドラマでは、あんなに面白いキャラクターにはそうそう出会えませんからね。悪役だけどそうとも言い切れず、心中複雑な人物なんです。演じた村上(幸平)君は当時は芝居がまだまだで、そのへんの機微の表現が難しかったですね。彼も最初は不安がっていて、作品の上がりを見て井上さんともディスカッションして、カイザは膨らんでいったんです。
(田村直己『仮面ライダー 平成 vol.4 仮面ライダー555』より)

 次に、『電王』以降登板回数が増えた、舞原賢三(まいはらけんぞう)の発言。

 井上(敏樹)さんの脚本は、難しかったです。観念的なト書きもありましたし、「舞原に任せた」みたいな部分もあって、好きにはやれるんですが大変でした。井上さんって、こちらが脚本を直しても怒らないんです。「面白かったぜ」って、褒めてくださいます。「俺は、脚本を仕上げるところまでが仕事だから」って。ただし、直したものが面白くなっていないと怒られます(笑)あまり、いらっしゃらないタイプの脚本家さんですね。(中略)力量のある作家さんだと思います。その回のどの部分に力を注げばいいかが、ホンを見るとすぐわかるんですね。
(舞原賢三『仮面ライダー 平成 vol.2 仮面ライダーアギト』より)

 そして、結城凱/ブラックコンドル鳥人戦隊ジェットマン)役の若松俊秀や、草加雅人/カイザ(555)役の村上幸平と、井上敏樹が今なお交流が続いているのは有名な話である。

■批判!監督&俳優の「虚淵玄」評

 虚淵玄「次会う時は喧嘩だな」とKAKUGOをキメたくらいやり合ったのが諸田敏である。

 『鎧武/ガイム』で困ったことは、圧倒的な台詞の多さです。2人の芝居だけで脚本の5ページに及ぶことは映像のテンションがもたないのであり得ないことなんですが、1年間がきっちり設計されている大河ドラマなので、虚淵(玄)さんは絶対に折れない。僕はホン打ち合わせが得意だと思っていて、おそらくいちばんきつく言う監督なので、ずいぶんやりあいました。そういった、ずっとしゃべっているような部分がダレないように演出していくことには、ずいぶん苦労しましたよ。とはいえ、そのうちこちらも演出的な対処法を把握したし、虚淵さんもいろいろと気づいてくれたので、後半の作業はスムーズになっていきました。
(諸田敏『ライダー 平成 vol.14 仮面ライダーウィザード』より)

 また、青木玄徳は戦極凌馬を演じるのがかなり苦痛だった模様。以下は撮影終盤のインタビュー。

――最近の戦極凌馬は、演じていていかがだったでしょう?
青木 正直なところメチャクチャ落ちましたね、気持ちが。舞ちゃんの心臓を摘出するって、それこそ歴代最悪の行いじゃないですか?(中略)本当、重いなぁって。日常生活でもずっと気が重くて、毎日のように酒を飲んでました(一同笑)。僕、安心してたんですよ、オーバーロードが出てきて。そっちが悪の立場になって、もしかしたらみんなで倒しにいけるのかなと思ってたんだけど、そしたらオーバーロードのほうがよっぽどいいヤツだったという。ロシュオなんて男らしかったよね。(中略)戦う人じゃない舞ちゃんの命を奪うって、一番やっちゃいけないことだよね。
(青木玄徳『東映ヒーローMAX Vol.50』より)

――タワーに侵入する前に、「全部私が悪いのか」って悪びれずに言うシーンも印象的でした。
青木 あぁ、あのへんも嫌だったなぁ……(笑)。でも、光実を蹴り倒したりはしてるけど、「光実ぼっちゃまは悪いことをしちゃいけないんだよ」ってことを言う、あそこだけは演じてていいなって思ってました。(中略)まぁ、首を絞めながらですけど(一同笑)
――たしかに行動としてはヒドいんですけど、あそこで「ウソをついたりすると、悪い大人に利用されちゃうよ」ってものすごく大事なことは言ってるんですよね。それ以外は今までの悪い仮面ライダーの中でも最悪なのかもしれませんが。
青木 何より卑怯なのがよくないよね。でも、悪いのも行くところまで行けば認められるというか……中途半端だったときがツラかったです。どうせなら一番になるのはいいことだよ(一同笑)。
(青木玄徳『東映ヒーローMAX Vol.50』より)

 プロフェッサー凌馬は監督&俳優の艱難辛苦の賜物だということを、心にとどめておいてくださいね。

■求募!反対・賛同意見

 「対決!」シリーズでは、賛同より反対意見が欲しいと思っています。何故かと言うと、『鎧武』はアンチも多いけど、信者やファンも沢山いるから。じゃあないと、『鎧武外伝』なんて出ないよ。自分は、「何故『鎧武』に心を掴まれる人がいるのか?」も、ゆくゆくは記事にしたいと思っているのです。本記事に思う所のある方は、「『555』より『鎧武』の方が優れているぜ!」という想いがあれば、その丈(たけ)をコメント欄に書きこんでください。あと、「セバオーズもまだ甘い!『鎧武』はまだ、こんなにも『555』に劣っているぜ!」という提言もお待ちしております。だけど、悪口・罵詈雑言は駄目よ。他人を不当に貶める発言はNG。あまりに暴言が過ぎる場合は、非承認とさせて頂きますのでご了承ください。

[了]